俺たちゃ大人にはなれないね

もー!
やなちゃん超しゅてき!(ふたたび。)
とゆーわけでさよなら人類発売から十八周年めの五月五日、柳原陽一郎ライブ@高円寺JIROKICHI に行ってきました。へへへ!
一曲目の「夏が来たんです」からうっとりでしたが、やなさん曰く“大人気ない”がテーマな第二部も超かっこいかったのです。「徘徊ロック」と「金返せ」がやっぱりかっこよすぎ〜とかによによしてたら、なんと私の愛する「ハレルヤ」を唄ってくださいました。
そんで「君を気にしてる」ですよ。「お経」も歌っちゃうのですよ。
挙げ句には「さよなら人類〜ばいばいばく・オゾンのダンス・ふしぎな夜の歌メドレー版〜」みたいなのを歌っちゃうんですもの。きゃあ、です。
ピアノを弾くやなさんのかっこうよさよ。そんでもって、やなさんの弾くピアノのかっこうよさよ!
陽一郎さんは、ステキだぞ。

ビールの泡はどこまでも

くたくたんに疲れた身に、のーみそがクラッシュするほど*1アルコールを摂取しべろべろに気持ち良く飛んでわたくしは連休を迎えました。
なんかこの連休前はお仕事がとくに楽しく忙しかったのですが、突然、まわりの人々の楽しい喧騒が遠ざかっていって、ひとり気持ちが暗い方へ低い方へとぐぅーんと落ちていく、あのやばい感覚に出会った。
久しぶりだな、私の憎むべき親愛なるともだち。
何かも分からぬ何かから逃げ出したくなるあの自己否定的で真っ黒な不安感。どうやらこころの風邪気味。
現状の不満はあまりないのに、やっぱり疲れって怖いねぇ。無理はしないことです。
何事も、楽しくやるのがいちばんです。

*1:あくまでも個人比

アートフリーマーケットIn千倉

朝方より降っていた雨もやみ
しまいには暑いくらいの日差しの下
私は昼間から海岸で酒をかっくらいへべれけ気分のふわふわで
そんな状態で石川さんに滝本さんに知久さんに
そいでもってその三人、私が解散五年後の今になって愛してやまぬ「たま」の三人がいっしょに歌う歌を聞くのです。
ラッタッタ、あるぴの、ハダシの足音。まちあわせ。
しあわせっ。
たまの人たちってすげーんだぜっ。本当にかっこいいおやじどもなんだぜっ。

千倉はなかなか遠かったけれどもとにかく、楽しくて嬉しくて嬉しかった。
山口マオさん、ありがとう。

パスカルズより、冒険王へ

冒険王・横尾忠則展を見に世田谷美術館へ行ってきました。
そして、パスカルズを見てきたのです。はじめて!パスカルズを!
……もー!
もう!
石川さんのお尻が目の前に迫ってきたことしか覚えてない! ……というのもあるんですけど
す て き!
曇天模様の空の下、ライブの始まる一時間前ころからとうとう雨が降り始め、残念ながら屋外ライブはとりやめで美術館内の講堂で行われることになったパスカルズライブ。外でリハーサルが行われるのを見ていて、音楽に合わせてちりんちりんと自転車のベルを鳴らす幼き人を見かけたりしていいなあ〜と思っていたのでちょっぴりそれは残念でしたがいやしかし。
すばらしいねパスカルズ
音楽というのはとにかく自由で楽しいものなのだ!っていう圧倒的な喜び。それはもう不思議と泣きたくなるくらいの。
すばらしいよ、パスカルズ

チェロが比喩でなく実際に火を噴いたりしてもーとても楽しかったのですが、そのチェロを奏でているのがGさんの「公園には自転車で来た」で伴奏している坂本弘道さんでした。斉藤哲也さんやライオンメリーさんのような人を勝手に想像していたので、野性味あふれる彼の氏の風体はなかなかカルチャーショックでした。わはは。


横尾忠則氏の絵はひとつひとつみな強烈でしかもそれが大量で、目がくるくるしそうでした。
Y字路作品群の一つ、「TとRの交差」は行きつ戻りつ三回ほどもじっくりじっくり見てしまった。なんかなあ、……すごいんだよなあ。

 「最低!最低です、ラブホテル百景!」

新しい環境はいきなり忙しくて眩暈がしたりしつつも、素晴らしい先輩方と週末の酒のうまさに救われている毎日です。お仕事の後の生びーるとラーメンがあんなにうまいなんて。涙が出そうに美味かったぜほんと。
聞くところによると世のお嬢さん方は、ひとりでラーメン屋さんや牛丼屋さんに行くのがお恥ずかしいらしく、そういう細やかな情緒にあこがれつつもそこからはどうもドロップアウトしてしまったらしいわが身のみじめさをちょっぴりと、うまいものを誰に気兼ねなく食える大いなる喜びとを、大好きなラーメン屋さんでひとり味わった週末の夜なのでした。
で、けっきょく「たまの月経散歩」はひとさま*1のものなので返さなくてはならず、しかしてラブホテル百景に絶望するやなさんや、時折なんか怖い滝本さん、日本のファーブル知久さんや意外にまともな進行役だったりする石川さんとお別れするのはどうしてもやーだったので、宅のオールインワンプリンター「キヤノン弐号機」をフル駆動させてこぴーをとったりする暴挙に出たりもしてしまいました。むしゃくしゃしたからやった。途中でちょっと後悔したがいまは満足している。(もはや絶版の本でもあり、超個人的利用の範囲でしか用いませんのでお許しください・・・)

消しゴムより分厚いんだもの。
買ったばかりの私の愛しいキヤノン弐号機くんは、そうして、なんだか調子がおかしくなってしまいました、とさ。
cf.http://d.hatena.ne.jp/machime/20080331/1206973208

*1:図書館

ニヒルについて。

ニヒリズムとは、ウィキペディア先生(?)のご解説によると

ラテン語のNihil(無)より、虚無主義)はこの世界、特に過去および現在における人間の存在には意義、目的、理解できるような真理、本質的な価値などがないと主張する哲学的な立場である。

ということらしいです。要するに人間全体として定義できる絶対的なものなんざ無ぇよ!ということでしょうか。
もう私は、いやもちろん彼の氏のことも激しく敬愛しているわけですが、石川浩司さんやもろもろな経歴をすっとばしたとしても、「ニヒル牛」という空間が大好きで、またそこが内包し外発する優しい思想に感心することしきり。
「お前にとっては石くれ同然でも、あたしにとっちゃあ宝物だぜ!」というのがいいのだ。
「オリジナルであれば無審査で作品を置くよ!」というらしいのがいいのだ。
表現や作品に対してとても平等な気がするんです。お店に来た人が自分だけのステキなものを見つけられるために。
ヒルだぜ。ニヒルであることは、優しく強くあることなのかもしらんと、思うんだぜ。そして、ひとは個々であると強く認識すること。
孤独ということが、なんだかかわいそうなものととらえられ過ぎている感があります。言葉がいけないのかなあ、「ひとりでいる・あること」を表す言葉ってほかに何かないかしら。個性という言葉もなんだかピュアに受け入れられるものじゃなくなっている昨今ですね。いやはや。
いろんな人に助けられてばかりで、未だ大した苦労もせずぼよよんと生きてきた私がこんなことを思うのは不遜かもしれませんが、誰かと楽しく過ごす瞬間と同様に、ひとりをじっくり味わう大事な瞬間を奪われたら私は苦しくてたまらないなあと考えるのです。
個性的でないひとがいないように、ひとがひとりひとりである以上「ふつうのひと」なんてくくり方はできねえよなあ、と最近とみに思う。簡単に理解できるような人間の真理なんかないのだ。ううむ、ニヒルであるには、あらゆる事象や相手に対する想像力もとっても大事なもようです。むつかしいねえ。でも、あたりまえのことではあるねえ。
曲解的ニヒル


うーん、「きゃは!この前ニヒル牛で買ったイヤリング超すてき!」みたいなこと書こうと思ってたのに。
超すてきですよもう。きゃはっ☆とか普通に声に出しちゃうくらい。このよーなずぼらなわたしにもヲトメごころというのはあったのだ!と驚愕してしまうほど、かわいくてきれいで胸キュンなの。ロマンチックが止まらないの。
きゃは!散財!

雨の音はそれを掻き消すの

バス通勤なんです。
先日、青空に桜の満艦飾というアリガチかつ素晴らしい組み合わせの眺めにちょっと感動したバス通りは、豪雨と暴風とあり得ない渋滞で惨惨たる風景でした。桜の命はかなしや。
雨で四月はやばいぜ。みんな真面目なんだからもう。
「あの娘は雨女」や「雨のイキモノ」よりもやっぱりこういう天気は「100mmの雨〜雨男の子守歌」な感じ。*1滝本氏の歌には「雨」や天気がモチーフのものが多いですね。彼のお方は三月の下北沢leteでも見事に雨を呼んでいました。
あそこは非常に狭くて、お酒が旨くて、滝本氏は素晴らしくて、まったくステキな雨の夜でしたよ。

*1:あ。雨男と雨女が揃うわけですな。