ニヒルについて。

ニヒリズムとは、ウィキペディア先生(?)のご解説によると

ラテン語のNihil(無)より、虚無主義)はこの世界、特に過去および現在における人間の存在には意義、目的、理解できるような真理、本質的な価値などがないと主張する哲学的な立場である。

ということらしいです。要するに人間全体として定義できる絶対的なものなんざ無ぇよ!ということでしょうか。
もう私は、いやもちろん彼の氏のことも激しく敬愛しているわけですが、石川浩司さんやもろもろな経歴をすっとばしたとしても、「ニヒル牛」という空間が大好きで、またそこが内包し外発する優しい思想に感心することしきり。
「お前にとっては石くれ同然でも、あたしにとっちゃあ宝物だぜ!」というのがいいのだ。
「オリジナルであれば無審査で作品を置くよ!」というらしいのがいいのだ。
表現や作品に対してとても平等な気がするんです。お店に来た人が自分だけのステキなものを見つけられるために。
ヒルだぜ。ニヒルであることは、優しく強くあることなのかもしらんと、思うんだぜ。そして、ひとは個々であると強く認識すること。
孤独ということが、なんだかかわいそうなものととらえられ過ぎている感があります。言葉がいけないのかなあ、「ひとりでいる・あること」を表す言葉ってほかに何かないかしら。個性という言葉もなんだかピュアに受け入れられるものじゃなくなっている昨今ですね。いやはや。
いろんな人に助けられてばかりで、未だ大した苦労もせずぼよよんと生きてきた私がこんなことを思うのは不遜かもしれませんが、誰かと楽しく過ごす瞬間と同様に、ひとりをじっくり味わう大事な瞬間を奪われたら私は苦しくてたまらないなあと考えるのです。
個性的でないひとがいないように、ひとがひとりひとりである以上「ふつうのひと」なんてくくり方はできねえよなあ、と最近とみに思う。簡単に理解できるような人間の真理なんかないのだ。ううむ、ニヒルであるには、あらゆる事象や相手に対する想像力もとっても大事なもようです。むつかしいねえ。でも、あたりまえのことではあるねえ。
曲解的ニヒル


うーん、「きゃは!この前ニヒル牛で買ったイヤリング超すてき!」みたいなこと書こうと思ってたのに。
超すてきですよもう。きゃはっ☆とか普通に声に出しちゃうくらい。このよーなずぼらなわたしにもヲトメごころというのはあったのだ!と驚愕してしまうほど、かわいくてきれいで胸キュンなの。ロマンチックが止まらないの。
きゃは!散財!