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「たま」というグループがいた。

「野良猫に“たま”とか勝手に名前を付けるでしょう、そんな感じ」で名付けられた、それぞれソロ活動をしていた四人組のユニット。

「平成」という言葉を一番はじめにタイトルにつけたことが売りの「三宅裕司いかすバンド天国」中期に登場し、番組のタイトルとはかけはなれた、泥臭く胡散臭くいかしてない風貌とジャンル分けしがたい異様な音曲でもって一躍人気者になり、その年のレコード大賞新人賞はとるわ紅白歌合戦に出るわともてはやされたバンド。

ちょっとすごい。いやレコ大や紅白に出たことが、じゃなくて、彼らが人気者となってしまうような、そのバブル期の異様さが。
「おどるポンポコリン」が同じくレコ大で大賞をとった年である、きっと当時のひとびとは、トレンディであること、洗練されていること、お金を湯水のように使うこと、ハイテンション万歳、といった「バブル」の熱狂に浮かされ流されながら、内心ではひどい恐怖感を持っていたんじゃないかと思う。
だから、昭和三十年代の子供みたいな風貌と声で歌う知久や、ちょっとキ印な裸の大将めいた石川浩司、異国の詐欺師のような柳原幼一郎、美男子なのに目立たず黙々とベースをひく滝本晃司といった「あやしいなつかしさ」にびびっと心を奪われたんじゃないだろーか。

一番ヒットした、柳原幼一郎の「さよなら人類」はポッカリした明るさの中に救いようのない終末感がぞくぞくと漂っている。カップリングの知久寿焼「らんちう」は、心や体に欠損をもつこどもたちの唱歌である。

バブルは終わる。いてつくようなさみしい時代がすぐそこに控えている。そして、それを迎える自分たちの正体は所詮、欠損のある不具だ。見ないようにしていた不安感に、「たま」がもともと持っていたよるべのないせつなさはピタリと合致したんだろう。(そしてそれは、結局のところ普遍的だ)

実際そういうブームがなかったらにぶい私がいま「たま」という音楽に触れていることはなかっただろうと思うので、彼らがもてはやされた時代があったことは、うれしい。そして、それで「たま」のメンバーが彼らの音楽を続けることができるだけの余裕を持てただろうことも、うれしい。実際メジャーな音楽シーンからは彼らはやがて忘れ去られてしまったようだけれど、「たま」はそれからも「たま」として存在し続けていた。
その名の通りのら猫のようにマイペースに、そして愛されながら。

つづく〜